精密医療電脳書

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リキッドバイオプシー 〜 がん患者にやさしい新しい検査法

がん組織を採取しない遺伝子検査/遺伝子情報解析

がんの診断法には画像診断と病理診断があります。レントゲン撮影やCTなどの画像診断で腫瘍をみつけるわけですが、それだけではがんと確定することはできません。その腫瘍が悪性か良性かわからないためです。そのためがん組織を採取して顕微鏡で観察し診断します(図1)。この顕微鏡による診断を病理診断と云い、がん組織を採取する作業を生検あるいはバイオプシー(biopsy)と云います。

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図1.病理診断・遺伝子検査のためにはがん組織採取(生検:バイオプシー)が必要である。

また生検で採取した組織は遺伝子検査にも使います。特に肺がんの場合は治療薬選択のため、必ず遺伝子検査を行います。但し生検は侵襲性が高いため、患者にとってもっと楽な方法が望まれていました。

がん細胞は通常の細胞よりも増殖が速いが、新しい細胞との入れ替わりも激しく、多くの細胞が死滅します。死滅したがん細胞から放出されたDNAは血液中を流れています。この血液中を流れているがんのDNA(血中腫瘍DNA:circulating tumor DNA, ctDNA)を使って遺伝子検査をすることができます。通常の生検で採取するがん組織を使わず、血液を用いる遺伝子検査あるいは遺伝子情報解析を、リキッドバイオプシー(液体を使った生検:liquid biopsy)と云います(図2)。通常の生検の場合は採取したがん組織の遺伝子変異しか検出できませんが、リキッドバイオプシーの場合は転移したがんのDNAの変異も検出できるメリットもあります。

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図2.リキッドバイオプシー。血中腫瘍DNAを用いて遺伝子検査あるいは遺伝子情報解析を行う。

がん細胞に見られる遺伝子異常は正常な細胞には出現しません。血液のDNAを調べてがん関連遺伝子の変異が発見できれば、その人はがんに罹患している可能性が高い。血液検査でがんの早期発見が実現できる可能性があります。そのためリキッドバイオプシーは現在投資家からも大きな注目を集めていますが、あくまで研究段階の技術である点には要注意です。それでは各応用について説明しましょう。

 

精密医療

精密医療は遺伝子情報に基づいて治療法を選択するがん医療のことで、リキッドバイオプシーは肺がんの精密医療に既に使われています。

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この分野の研究が最も進んでおり、血漿用EGFR変異検出キット(ロッシェ、キアゲン)が欧米や日本で承認されています。但しこれらのキットは、組織生検用の検査キットをそのまま血液に転用していているため感度が悪く、また定量解析ができないので次項で述べる病態モニタリングには使えません。私は、これらの問題点を解決したリキッドバイオプシーシステム「EGFRリキッド」を開発しました。「EGFRリキッド」は、2020年7月31日国内承認されました。

米国ではファウンデーション・メディシン社、ガーダント・ヘルス社、パーソナル・ゲノム・ディアグノスティックス社の3社は、70個以上の遺伝子の変異検出を一括して行うリキッドバイオプシー用遺伝子検査パネルを開発中で、FDAから画期的医療機器の指定を受けています。

 

病態モニタリング

血中腫瘍DNAは死滅したがん細胞から放出されたDNAですが、その量は、がんの大きさと比例します。そのため血中腫瘍DNAの量をモニターすることで、がんの進行度や抗がん剤の治療効果を調べることができます。「EGFRリキッド」を使った例を示します。

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図3.イレッサ治療中の肺がん患者の血中腫瘍DNAの変化。イレッサ治療により消失するが、イレッサ耐性になり悪化すると再び出現上昇する。

 

図3はイレッサ治療中EGFR変異陽性肺がん患者の血中腫瘍DNAの動きを追ったものです。血中腫瘍DNAの量はEGFR活性化変異(図3青)で追跡しています。イレッサ治療前には多くの血中腫瘍DNAがありますが、治療直後に消失します。これはイレッサによりがんが消失したためです。イレッサが効いている間はずっと消失したままですが、6ヶ月を過ぎた頃に、また現れます。イレッサを始めとするEGFR-TKIも他の抗がん剤と同じく、使っている間に耐性ができて効かなくなります。そのため腫瘍が再び大きくなり、血中腫瘍DNAが出現するわけです。この患者ではEGFRの新しい変異(耐性変異)のためイレッサ耐性になっており、耐性変異を持った血中腫瘍DNA(図3赤)も出現します。通常がんの悪化は画像診断で判定しますが、この患者では血中腫瘍DNAの上昇のほうが画像診断よりも1−2ヶ月早く起こっています。悪化した場合、イレッサ以外の抗がん剤に切り替える等対策が必要ですが、早期に徴候が捉えられれば迅速な対応が可能ですので、患者にとって大きなメリットがあります。

 

早期診断

精密医療と病態モニタリングは進行がんを対象にしたリキッドバイオプシーの使い方ですが、早期診断は健常人の中から早期がんの人を発見するのが目的です。早期がんは小さいので、血中腫瘍DNAの量が進行がんよりも少なく、検出が技術的に困難です。また研究が進むにつれ、正常の白血球にも、がん関連遺伝子の変異が微量存在することが明らかになってきました。そのため遺伝子変異を指標にした早期がん発見は難しい、ということがわかってきました。

遺伝子には「シトシン(C)のメチル化」という現象があります。メチル化された遺伝子はRNAの転写が止まり、体内で働かなくなります。メチル化を受ける遺伝子は組織によって異なり、がん化するとまた変化します。グレイル社は10万個以上のメチル化部位を調べれば早期がんを発見可能、という研究成果を今月発表しました。現時点ではこの方法が最も有望です。

 

ビジネスの話

肺がんの精密医療の対象になる遺伝子は4−6個、新しい薬が出て増えても10個前後だと思われます。米国の会社がつくるリキッドバイオプシー検査システムは70個以上の癌関連遺伝子の変異を調べるので完全にオーバースペックです。遺伝子が多い分価格が高く、1回の検査が30−60万円します。これでビジネスが成立するのは、米国では肺生検の技術料が高く平均60万円するからで、生検をしないリキッドバイオプシー検査のほうが低コストになるためです。日本の場合は肺生検の技術料は約4万5千円なので、米国の検査システムは相対的に高価になるため、保険収載され一般に使える可能性は低い、と考えられます。対象遺伝子数を減らすと当然コストは削減できるので、日本でリキッドバイオプシーを行うためには遺伝子数を絞ったシステムを独自に開発する必要があります。

リキッドバイオプシーによる早期診断は、成功すれば膨大な市場が期待できるため、製薬業界よりも一般の投資家の関心を引いています。グレイル社は他の会社と異なりリキッドバイオプシーによる早期診断に特化した会社ですが、アマゾンCEOのジェフ・ベゾスやビル・ゲイツを含む有力なファンドから資金を得ています。またガーダント・ヘルス社はソフトバンクグループのビジョンファンドから出資を受けていることで有名です。

 

(追記:2020年8月14日)EGFRリキッドの承認に伴い、該当箇所を修正。